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造船ともんじゃ・佃煮の街、月島エリア

中央区月島は銀座などにもほど近い隅田川沿いに広がるエリアだ。明治時代に行われた東京湾澪浚工事に伴う東京湾埋め立ての1号地として1892(明治25)年に誕生した島で、埋め立て地であることからいつしか「築島(つきしま)」と呼ばれるようになり、その後、東京湾にあった「月の岬」という観月の名所にちなんで「月島」という表記に改められたそうだ。

隣接する現在の佃には、江戸時代から造船場が設けられていた。明治以降は「石川島造船所(現・IHI)」の工場となり、日本の造船業の中心に成長していく。こうした動きに伴い、月島周辺にも関連の鉄工所や機械工場が進出、工業地帯として発展を遂げた。また、海岸に近いこともあり海運業の事務所や倉庫なども建ち並ぶようになる。これらの工場や事務所、倉庫で働く労働者も増え、月島一帯では宅地化も急速に進んだという。

月島もんじゃストリート

埋め立て当初、月島と対岸の築地の間は「月島の渡し」と呼ばれていた渡し船で行き来をしていた。往来が盛んになるにつれ、船着場には多くの人が集まり、商店も増えてきた。これが現在の「月島西仲通り商店街」のもととなっている。

もんじゃの暖簾

月島の名物として全国的に知られるご当地グルメが「もんじゃ焼き」だ。もんじゃ焼きは「月島西仲通り商店街」付近の駄菓子屋で売られていた「文字焼き」がルーツとされている。文字焼きとは、駄菓子屋に備えられていた鉄板で小麦粉を水に溶いたものを薄く焼き、醤油や蜜を付けて食べるというもので、焼くときに文字や絵を描いていたことからこの名が付いたという。現在は、月島西仲通り商店街を中心に数十店舗のもんじゃ焼き店が並び、「月島もんじゃストリート」とも呼ばれるようになった。

佃の街並み

また、隣接する佃は、徳川家康が招いた大阪の漁師たちによって作られた漁師町として発展した。ここに住んでいた漁師たちは、悪天候時の保存食や出漁時の食料として小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めたものを作っていた。これが保存性の高さと安い価格から江戸の市民に評判となり、佃煮として広く知られるようになったという。こうして佃の名物となった佃煮の店は現在も老舗の店舗が営業を続け、伝統の味を今に伝えている。

近年の月島や佃エリアでは再開発など都市インフラの整備が進められ、より暮らしやすい街になった。長い歴史をベースに、時代の変化に合わせて進化を続けてきた月島エリア。今後もさらに魅力ある街に成長していくだろう。

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