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三菱財閥岩崎家が愛した地、本郷・湯島

本郷・湯島は三菱財閥初代の岩崎弥太郎が過ごした街だ。湯島四丁目と池之端一丁目にまたがる小高い丘に建つ洋館は、三菱の創設者として知られる岩崎家の本邸にあった建物で、庭園とともに「旧岩崎邸庭園」として一般公開されている。

旧岩崎邸庭園

旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であった。維新後、この屋敷は旧舞鶴藩主であった牧野弼成の邸宅となり、1878(明治11)年に岩崎弥太郎が牧野弼成から購入。以降、岩崎家の本邸として利用されるようになったという。現在も洋館や撞球(ビリヤード)室、かつての和館の一部であった大広間が残り、「旧岩崎家住宅」として国の重要文化財に指定されている。

これらの建物は、「東京国立博物館」や「鹿鳴館」など数多くの官庁の建造物を手がけた英国人建築家、ジョサイア・コンドルの設計によるもので、1896(明治29)年に完成。このうち洋館は岩崎家の私的な迎賓館として造られ、年1回行われていた岩崎家の集まりや外国人、賓客を招いてのパーティーなどに利用されていたという。この建物には17世紀のイギリスで広まったジャコビアン様式の装飾が施され、屋根のドームにはイスラム風のモチーフも採り入れるなど、意欲的なデザインになっている。洋館南側のベランダに並ぶ列柱は、東南アジアの植民地に発達したコロニアル様式が採り入れられ、建築史的にも貴重なものだ。

洋館と結ばれていた和館は書院造りが基調。完成当時は洋館よりも大規模だったという。現在は冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残り、床の間や襖には明治を代表する日本画家・橋本雅邦の下絵といわれる日本画が描かれている。

撞球室は、スイスの山小屋風の校倉造の外観で、洋館とは地下通路で結ばれていたそうだ。現在、一般公開されているのは外観のみで、内部を見ることはできないが、建物の内壁には明治期の金唐革紙が張られているという。

また、旧岩崎邸に残る庭園は、かつての大名庭園の一部を活かしながら、西洋風の芝生を庭に取り入れた和洋併存式庭園で、現在は大幅に縮小されているものの江戸時代の石碑などに歴史の名残を感じられるだろう。

三菱史料館

旧岩崎邸庭園」の西側には「三菱経済研究所」があり、「三菱史料館」が併設されている。ここでは、明治維新期の創業から今日に到るまでの三菱の歴史と時代背景についての展示があり、日本の発展と三菱が果たした役割について知ることができる。

三菱の歴史ともに歩んできた本郷・湯島。この街を、のんびりと歴史を訪ねて歩くのも心安らぐひとときとなりそうだ。

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