武家屋敷や町屋が広がっていた江戸時代
文京区本郷周辺は東京メトロ丸ノ内線、都営地下鉄大江戸線の「本郷三丁目」駅を中心に広がり、おおむね標高20m前後の本郷台地上に位置している。江戸時代には加賀藩上屋敷や小笠原佐渡守中屋敷など武家屋敷が建てられていたほか、「真光寺」(現在は「本郷薬師堂」があるのみ。「真光寺」は世田谷区に移転)や「牛天神 北野神社」などの寺社が点在、そのほかの場所には町屋が広がっていたという。
かの有名な川柳が生まれた「かねやす」
江戸時代の本郷には「かねやす」と呼ばれる店があった。「かねやす」は元禄時代に歯科医が創業した歯磨き粉を売る店で、その歯磨き粉は江戸市中の人々に人気を呼び、のちに小間物屋として発展したという。享保の大火の復興に際し、江戸南町奉行であった大岡忠相は「かねやす」から南側の建物では土蔵造りを奨励し、萱葺き屋根を禁じた。これ以降、「かねやす」が江戸の北限とされ、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳も誕生している。「かねやす」は閉業したが、店の壁に川柳を記した案内板を掲げて当時の様子を伝えている。
古くから文京の地として知られる
本郷周辺は多くの教育施設が集まる文京区の中でも、とくに教育施設が多い街だ。江戸時代には「昌平坂学問所」が設置され、跡地には「東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)」や「東京高等師範学校(現・筑波大学)」、「東京府女子師範学校(現・東京学芸大学)」といった教育施設が誕生し、日本の教育の中心となった。「昌平坂学問所」の跡地は、現在「東京科学大学 湯島キャンパス」となっており、「湯島聖堂」には、「日本の学校教育発祥の地」の掲示もある。
「東京大学」をはじめ現在においても教育の中心地
明治初期には「東京医学校(現・東京大学)」が加賀藩上屋敷の跡地に移転してきた。現在も本郷には「東京大学 本郷地区キャンパス」があり、「東京大学医学部附属病院」や「東京大学東洋文化研究所」「東京大学社会科学研究所」「東京大学総合研究博物館」など付属機関も多数集まり、東京大学の中枢として機能している。また、このキャンパス内には、加賀藩上屋敷の御守殿門であった「赤門」や屋敷の庭園に設けられていた「三四郎池」などかつての武家屋敷の歴史を感じられるスポットも残されている。
落ち着いた街並みが魅力
こうした文教エリアとしての歴史は、周辺の住民に恵まれた教育環境というメリットをもたらしている。さらに、エリアの多くが都市計画法上の文教地区に指定されており、住まいの場として良好な環境が維持されていることも特徴だ。文教エリアならではの落ち着いたたたずまいが魅力の街、本郷では、穏やかな暮らしを楽しめるだろう。
穏やかな街並みが広がる文教エリア、文京区本郷
所在地:東京都文京区