大名屋敷から文教のまち、邸宅街へ
文京区は東京23区のほぼ中央、武蔵野台地の高台に位置し、古くから文教のまちとして知られている。小石川・小日向エリアは江戸時代には大名屋敷が集まっており、現在も大名屋敷の名残として多くの庭園が残る。一部の大名屋敷は、明治維新後に教育施設として使われるようになり、これが文教のまちの礎となった。高級住宅街となった大名屋敷跡地もあり、都内有数の邸宅街でもある。
大名屋敷から大学キャンパス、公園へ移り変わった「教育の森公園」
今の小石川・小日向エリアには江戸時代に徳川光圀の弟である松平頼元の屋敷が置かれていた。この屋敷内にあった庭園は「占春園」と呼ばれており、現在もその一部が残っている。
松平頼元屋敷跡には1903(明治36)年に「東京高等師範学校」が誕生し、文教エリアの一角を担うようになった。戦後、「東京高等師範学校」は「東京教育大学」に改組されるが、1978(昭和53)年に「筑波大学」にとなり移転、跡地は「教育の森公園」として整備された。
「小石川御薬園」が生まれ変わった「小石川植物園」
現在の「小石川植物園」は江戸時代に開設された「小石川御薬園」が発祥とされている。この場所にもともと館林藩下屋敷があり、1684(貞享元)年から「小石川御薬園」として使われるようになった。1722(享保7)年には「施薬院(養生所)」も設けられ、1735(享保20)年には青木昆陽によるサツマイモ(甘藷)の試作が行われたことで知られる。東京大学の施設となった現在は一般公開もされており、豊かな自然に触れられる。
和洋折衷の庭園が残る「小石川後楽園」
小石川・小日向エリアに緑とうるおいを提供する「小石川後楽園」は江戸時代の水戸徳川家の上屋敷だった場所だ。
初代、水戸藩主の徳川頼房はこの地に上屋敷を置き、日本庭園も築いた。2代藩主の光圀はこの庭園を改修した際に中国の意匠を取り入れ、和の風情の中に異国情緒が混じり合うユニークなものとなった。現在も四季折々の風景を楽しめるスポットとして親しまれている。
今後の小石川・小日向エリアをリードする「文京ガーデン」
小石川・小日向エリアでは、再開発などにより時代の変化に合わせた進化も遂げている。「春日」駅と「後楽園」駅前で行われている再開発では地上40階地下2階の高層ビルをはじめとした3棟のビルが誕生。新たなまちの名称も「文京ガーデン」と決定し、2022(令和4)年4月にグランドオープンを迎えた。これらのビルはマンションやオフィス、ショッピング施設が入るほか、文教のまちらしく教育施設も設けられた。
長い歴史を受け継ぎつつ、さらに利便性の高いまちへ生まれ変わりつつある小石川・小日向エリア。このまちは今後も邸宅街として人気を維持し続けるだろう。
大名屋敷の庭園が残る都内有数の文教のまち、文京区小石川・小日向エリア
所在地:東京都文京区