駒込エリアは文京区と豊島区と北区の境に広がるエリアだ。地形的には武蔵野台地の東端にあたり、「動坂遺跡」や「富士神社古墳」など、古くから人々が暮らしていた痕跡が残っている。
駒込の歴史的背景
江戸時代には「富士神社古墳」のある「駒込富士神社」と、現在の「都立駒込病院」付近にあった「鷹匠屋敷」に加え、「駒込なす」の産地でもあったことから「一富士二鷹三茄子」が揃う縁起のよい土地とされ富士信仰の拠点としても賑わった。
和歌に詠まれた風景を今に残す
江戸時代のこのエリアには多くの武家屋敷が並んでいたという。「六義園」も武家屋敷内の庭園がルーツだ。大正時代に入ると田園調布や大泉学園など郊外で住宅地開発が盛んになる。「六義園」の隣接地でも理想的な住宅地を目標に開発が行われた。建築学や都市計画学の専門家、佐野利器が設計したこの住宅地は「大和郷」と呼ばれ、上流階級が暮らす街になった。
「大和郷」に暮らす住民は、親睦や協力を目的とする組織として「大和村」を結成し、1925(大正14)年には社団法人「大和郷会」が発足する。この「大和郷会」は「大和郷幼稚園」を創設するなど多様な活動を行ってきた。こうした住民の努力もあり良好な環境が維持されてきた「大和郷」は、現在も高級住宅地として根強い人気を誇っている。
お花見時期には住宅街に桜並木も
駒込はソメイヨシノ発祥の地としても知られている。かつてこの地では武家屋敷が多かったことから、庭園に配する植木の需要が高く、植木栽培が盛んになったという。植木農家がエドヒガンとオオシマザクラをかけあわせたことで誕生した新しい桜の品種は、駒込のかつての地名「染井」にちなんで名付けられ、その後、全国に広がっていった。
現在、染井という地名は失われてしまったが、「染井霊園」には多くのソメイヨシノが多くの人々の目を楽しませているほか、JR「駒込」駅前のポストがピンク色に桜の花が配され、この地が桜のふるさとであることを感じさせてくれる。
武家屋敷から高級住宅地として発展し、桜の名所としても知られる駒込。この街には、都内でも独特の落ち着きが漂っている。
ソメイヨシノが生まれた地に広がる邸宅街、駒込
所在地:東京都文京区