古くから京都の中心として発展
京都は794(延暦13)年に開かれた平安京の造営によって発展を遂げた。平安京の大内裏は「二条城」付近にあり、天皇の庭園「神泉苑」も設けられていたという。平安京からは南に朱雀大路が伸び、その両側に碁盤目状に街路が造られた。当時の街路は現在も京都のまちの基盤になっており、烏丸御池エリアは平安時代から京都の中心として栄えた場所といえる。
世界遺産にも登録された「二条城」
時が下ると大内裏には「二条城」が設けられた。「二条城」は足利氏、織田氏、豊臣氏により代々、整備、改修されてきたが、今も残る「二条城」は江戸時代に徳川家康が京都の保護と京都での宿泊先として整備したものだ。徳川家康は「二条城」で将軍就任の儀式を行い、徳川慶喜も「二条城」で大政奉還を行った。「二条城」は江戸時代の始まりと終わりに登場する場としても知られている。今も多くの建物が残されており、「二の丸御殿」は国宝、「本丸御殿」は重要文化財に指定されている。また「二条城」は、1994(平成6)年に世界遺産にも登録された。
豊かな緑に包まれた「京都御所」・「京都御苑」
鎌倉時代末期に、現在の「京都御所」の場所に内裏が移された。今も天皇陛下、皇后陛下の京都への行幸啓時の宿泊などに使われている。
「京都御苑」は「京都御所」の周辺に広がる緑地で、明治維新後、公家屋敷を再整備し誕生した。「京都御苑」内には現在も公家屋敷の跡が残るほか、京都市内にいながら豊かな緑に触れられる場所として親しまれている。「京都御所」でも一般公開が行われており、京都の観光スポットのひとつにもなっている。
日本の歴史を変える舞台となった「本能寺」
「本能寺」は織田信長が明智光秀によって滅ぼされた「本能寺の変」の舞台として有名だ。「本能寺」は1415(応永22)年に創建され、その後、現在の「京都市本能特別養護老人ホーム・京都市立堀川高等学校本能学舎」付近に移転した。「本能寺の変」当時も「本能寺」はこの場所にあったという。今の「本能寺」は豊臣秀吉によって、1592(天正20)年に移転されたものだ。
京都らしいまちなみが残る「花見小路」
紅殻格子に犬矢来というまちなみは京都のシンボルとして、ポスターや観光パンフレットなどでもよく見られる。「花見小路」はそんな京都らしさを感じられる祇園のメインストリートだ。「花見小路」を歩いていると、舞妓の姿を見かけることもあるという。
多彩な文化に親しめる施設が徒歩圏内に
烏丸御池エリア周辺には、現代文化を楽しめるアートスポットも多い。「京都国際マンガミュージアム」には日本の漫画やグラフィックノベルが多数所蔵されており、閲覧もできる。「京都市立明倫小学校」跡地に造られたアートスペース「京都芸術センター」は若いアーティストの制作、表現の場だ。「京都文化博物館」では京都の長い歴史や深い文化を学べる。
休日には気軽に歴史や文化に触れられるのも、烏丸御池エリアで暮らす魅力になる。
平安時代から京都の歴史の中心でありつづけたまち
所在地:京都府京都市中京区