旧永代寺の門前町から門前仲町の地名が誕生
門前仲町という地名は江戸時代に「富岡八幡宮」の別当寺であった旧永代寺の門前町として発展したことに由来する。永代寺は、この地が永代島と呼ばれていたことから名付けられたそうだ。
永代寺は大きな規模を誇っていたが、明治維新後の神仏分離により廃寺。その後、跡地の一部は東京府初の公園「深川公園」として整備され、寺は塔頭の吉祥院が名称を引き継いで、現在の「永代寺」が再興された。
「江戸最大の八幡様」として親しまれた「富岡八幡宮」
「富岡八幡宮」は1627(寛永4)年、旧永代寺とともに創建された。創建当時の「富岡八幡宮」周辺は砂州となっており、埋め立てにより神社と氏子の居住地を開拓していったという。
江戸時代には将軍家が八幡大神を崇拝していたことから、「富岡八幡宮」も将軍家の保護を受け、「深川の八幡様」「江戸最大の八幡様」として江戸の庶民からも信仰を集めた。
江戸三大祭の一つ、深川八幡祭
「富岡八幡宮」の例大祭が深川八幡祭りで、毎年8月15日前後に開かれる。深川八幡祭りは古くから「赤坂日枝神社」の山王祭、「神田明神」の神田祭とともに江戸三大祭に数えられていた。3年ごとの御鳳輦の渡御がある例大祭は本祭りと呼ばれて盛大に開催される。祭りは神輿の担ぎ手が観衆から水をかけられながら渡御を行うことから、「水掛け祭り」とも呼ばれている。
江戸の不動明王信仰から誕生した「深川不動尊」
江戸時代、歌舞伎役者の市川團十郎は不動明王が登場する芝居を行った。この芝居は人気を集め、江戸の庶民の間では「成田山新勝寺」の不動明王が注目されるようになった。「成田山新勝寺」に行かずとも不動明王をお参りしたいという要望が増えたことにより、永代寺にて「成田山新勝寺」から不動明王の出開帳が行われるようになった。
明治時代になると永代寺は廃寺となったものの、不動明王への信仰は衰えを見せなかった。そこで、「深川公園」の一角に不動明王を分霊し、「深川不動尊」が誕生した。
江戸の情緒を感じられる「人情深川ご利益通り」
「深川不動堂」の参道には「深川不動尊商店会」が広がる。ここは「人情深川ご利益通り」とも呼ばれる情緒漂う商店街だ。毎月1日、15日、28日に縁日が開催され、特に賑わう。
江戸時代から庶民の信仰の場、行楽スポットとして人気を集めた門前仲町エリア。この街には現在も多くの人が参拝に訪れ、買い物や食事を楽しんでいる。
江戸の歴史と人情を受け継ぐ街
所在地:東京都江東区