港区高輪は「品川」駅の西側に広がり、中央リニア新幹線の新駅設置や山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅周辺での新しい街づくりなど周辺の開発計画により、さらなる発展が期待されているエリアだ。
高輪には江戸時代に東海道の「高輪大木戸」が設けられ、江戸の南の玄関口としての機能を果たしていた。造られた当時の「高輪大木戸」は、街道の両側に築かれた幅約20mの土塁の間に木戸があり、明け六ツに開き、暮れ六ツに閉じられていたという。その後、土塁は石垣に代わり、現在もその石垣の一部が残されている。そのほか、石碑や案内板が設置されており、この地の歴史を知ることができるだろう。
高輪の歴史を伝える東禅寺・泉岳寺
また、1636(寛永13)年には、赤坂から「東禅寺」が移転してきた。「東禅寺」は幕末に「英国公使館」が置かれたことでも有名になった寺だ。「東禅寺」の周辺には、その後、多くの寺が集まるようになり、こうした寺院群の周辺には井伊家、本多家などの大名屋敷が建ち並んでいたという。
「高輪大木戸跡」の南に建つ「泉岳寺」もこの頃に高輪に造られた寺だ。この寺は1612(慶長17)年に徳川家康が招いた僧侶により創建されたもので、もともとは外桜田にあったが1641(寛永18)年の寛永の大火で焼失、徳川家光の命を受け、現在の場所に再建された。この寺には「忠臣蔵」のモデルとなった「赤穂事件」で知られる浅野内匠頭や大石内蔵助ほか赤穂浪士が葬られていることでも知られ、毎年4月と12月には「義士祭」が開かれている。
明治時代以降の高輪の歴史
江戸時代の武家屋敷は、明治維新後、皇族の邸宅として使われるようになる。「高輪台」駅と「品川」駅の間には、竹田宮邸と北白川宮邸が設けられていた。現在、これらの宮邸跡地は「グランドプリンスホテル高輪」や「グランドプリンスホテル新高輪」となっている。「旧竹田宮邸洋館」は「グランドプリンスホテル高輪 貴賓館」として残り、今もその姿を見ることができる。
エリア西側には、1887(明治20)年に「明治学院大学」のキャンパスが造られている。現在もキャンパス内には、開学直後に宣教師の住居として建てられた洋館の「インブリー館」、1890(明治23)年建築で神学部の教室などとして使われていた「明治学院記念館」、1916(大正5)年にヴォーリズの設計により建てられたチャペルなど、明治から大正期の建造物が残り、キャンパス内を散策するのも楽しい。
江戸から明治、大正にかけての日本の歴史が醸し出す落ち着いた雰囲気に抱かれた街、高輪。日本の歴史とともに歩んできた住宅地ならではの風格がこの街にはある。
日本の発展の歴史を知ることができる街、高輪
所在地:東京都港区