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名古屋・栄・伏見エリア
コラム

江戸時代の武家屋敷街や明治時代から大正時代の邸宅が残る白壁エリア

歴史の薫り高い邸宅街

白壁エリアの街並み

名古屋市東区は「名古屋城」の東に位置し、城下町として発展したエリアだ。白壁エリアは江戸時代に武家屋敷として使われていた街で、現在も歴史の面影が残る。明治以降は武家屋敷跡地が邸宅街として開発され、今も名古屋市内有数の高級住宅地として知られる。

「清須越」で武家屋敷街が誕生

武家屋敷の面影が残る白壁エリア

かつて尾張国の拠点は「清州城」であった。しかし、「清州城」は水害を受けやすいこと、天正地震で液状化の被害を受けたことから、新たな城への移転が決定、「名古屋城」の築城が始まった。1610(慶長15)年、「清州城」から「名古屋城」への移転は城だけでなく町屋や神社、寺院まで城下町が丸ごと移動する大規模なもので「清須越」と呼ばれている。

「名古屋城」の東側にあたる現在の白壁エリアは武家屋敷街が造られた。この時、白壁エリアに移住した武士の一人が屋敷の前に白壁の塀を造ったことをきっかけに、周辺の武家屋敷でも白壁の塀が流行したという。その後、この一帯は白壁と呼ばれるようになった。

 ※「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。現在の「清洲城」の展示においては、「清須越」を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記していることから(清須市HPより)、当記事でも同様の記載をしています。

武家屋敷跡地が邸宅街に

実業家福澤桃介氏の邸宅を移築した「文化のみち二葉館」

大正時代から昭和初期になると、白壁エリア周辺の武家屋敷跡地の広大な敷地を利用して、現在のトヨタグループの礎を築いた豊田佐吉氏、豊田佐助氏、豊田喜一郎氏などの豊田一族、ソニーの創始者である盛田昭夫氏などが邸宅を構えた。

こうして白壁エリアは名古屋市内有数の高級住宅地としての地位を確立し、多くの邸宅が建ち並ぶようになった。

今も歴史的な街並みが残る

井元為三郎氏の屋敷であった「文化のみち橦木館」

白壁エリア周辺では名古屋大空襲の被害を受けなかったことから、現在も歴史的な建造物が数多く残されている。

こうした貴重な街並みを保全するため、名古屋市は1985(昭和60)年に白壁を含む約14.3ヘクタールを「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定した。「白壁・主税・橦木町町並み保存地区」ではデザインや建物の高さ、材質に配慮し、植栽などを行うこととされており、和風や洋風の邸宅を敷地内の緑と板塀が彩る街並みが維持されている。

陶磁器の輸出問屋を営んでいた財界人の井元為三郎氏の屋敷であった「文化のみち橦木館」、木曽川開発を行った大同電力の社長を務め電力王と呼ばれた実業家・福澤桃介氏の邸宅であった「文化のみち二葉館」のほか、トヨタグループの創始者・豊田佐吉氏の弟であった豊田佐助氏の邸宅、陶磁器貿易商であった春田鉄次郎氏の邸宅など歴史の面影を感じられるスポットが点在する。

名古屋市中心部にありながら歴史の薫りが漂う白壁エリア。週末にはのんびり歴史散策をするのも楽しいだろう。


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