大名屋敷から邸宅街へ
五反田エリアの東側の高台はかつて大名屋敷が多く立地し、明治維新後は大名家をルーツとする貴族の邸宅として使われるようになった。こうした歴史的背景もあり、この一帯は次第に邸宅街の地位を確立した。とくに島津山、池田山、御殿山、八ツ山、花房山と山が付く地名の邸宅街は「城南五山」とも呼ばれ、現在も都内を代表する邸宅街として知られている。
「ソニー村」とも呼ばれた御殿山
御殿山は「城南五山」のうち最も南側に位置し、地名は江戸時代に徳川家康が「品川御殿」を建てたことに由来するという。「品川御殿」は歴代の将軍家が鷹狩りの時に休憩所として使っていたそうだ。明治以降の御殿山には富裕層の屋敷が数多く建てられ、邸宅街としての地位を確立した。
また、第二次世界大戦後、御殿山にはソニーの本社が進出し、関連の事業所も設けられ、「ソニー村」とも呼ばれる拠点となっていた。ソニーの本社は2007(平成19)年に移転し、跡地は「ガーデンシティ 品川御殿山」などに再開発されている。
島津公爵の邸宅があった島津山
御殿山の北側には島津山が広がる。この一帯は江戸時代に仙台伊達藩の広大な下屋敷として使われており、明治以降は旧鹿児島藩主島津公爵の邸宅となった。島津山という地名はこうした歴史に由来する。戦後、この邸宅は「清泉女子大学」のキャンパスとして利用されるようになった。「清泉女子大学本館」は島津公爵邸宅にあったルネサンス様式の洋館で、しながわ百景のひとつにも指定されている。
「品川区立池田山公園」に池田家下屋敷の面影が残る池田山
池田山は島津山と桜田通りを挟んで北側に位置する。ここにはかつて備前岡山藩の池田家下屋敷があったため池田山と呼ばれるようになったという。「品川区立池田山公園」は池田家下屋敷の奥庭部分を整備したもので、和風庭園に当時の面影を残す。
池田山には上皇后美智子さまの生家である正田家の邸宅も立っていた。「ねむの木の庭」は正田家邸宅跡地に整備された公園で、美智子さまが高校生時代に作った詩「ねむの木の子守歌」から名づけられたものだ。
外交官の別邸に由来する花房山、伊藤博文の邸宅があった八ツ山
花房山は「城南五山」の中で最も北側に位置する。地名は明治時代から大正時代に活躍した外交官で、日本赤十字社の社長でもあった子爵、花房義質の別邸があったことに由来する。
八ツ山は「品川」駅の西側一帯に広がる。八ツ山エリアに立つ「開東閣」はかつて伊藤博文の邸宅だったもので、その後岩崎家の邸宅として使われるようになった。現在は三菱グループの施設として使われている。
都内でも有数の邸宅街が広がる「城南五山」。ここには喧騒とは程遠い閑静な佇まいが漂っている。
都内有数の邸宅街として知られる「城南五山」
所在地:東京都品川区