歴史の薫りが漂い、ゆったりとした時間が流れる街並み
東京23区の南に位置する品川区は、近年の再開発でオフィス街やタワーマンション街となったエリアも多い。一方で品川は古くから江戸湾(東京湾)に面した港町として発展、江戸時代には宿場町として栄えた歴史を持つ。現在も品川エリア周辺には歴史を感じられるスポットが数多く残り、とくに旧東海道沿いではどこか懐かしい街並みが広がっている。
東海道最初の宿場「品川宿」
江戸時代に東海道が整備されると、中世以来の港町であった品川に宿場が設けられることになった。「品川宿」は東海道で最初の宿場であり、江戸の玄関口としての役割も果たしていた。
「品川宿」の規模は大きく、現在の京急本線の「北品川」駅から「青物横丁」駅周辺まで続いていた。目黒川より北が北品川宿、南が南品川宿と呼ばれ、当時の本陣は今の「聖蹟公園」にあったという。
「品海公園」には「日本橋より二里」の碑があるほか、花壇にはかつて「品川宿」付近の海岸線の土留めに積まれた石垣が利用されているなど当時の面影が残る。
都内有数の規模を誇る「富士塚」がある「品川神社」
京浜急行本線「新馬場」駅の北に建つ「品川神社」は1187(文治3)年に源頼朝が安房国の洲崎明神の天比理乃咩命を勧請したことが始まりといわれる古社だ。江戸時代の「品川神社」は北品川の鎮守とされ、多くの崇拝を集めた。また、江戸時代に富士信仰が盛んになると境内に富士塚が設けられている。この富士塚は高さ15mと都内有数の規模を誇る。
今も6月上旬の「北の天王祭」と呼ばれる品川神社例大祭などは多くの人出でにぎわう。この祭りのクライマックスでは53段の急階段を神輿が上がり、大いに盛り上がる。1月1日の歳且祭、4月の春祭、11月の新嘗祭に奉納される神楽「太太神楽」(だいだいかぐら)は、徳川家康が関ヶ原の合戦出陣の時に戦勝祈願として奉納されたと伝えられ、東京都の技芸無形文化財に指定されている。また、春秋の彼岸中日には、境内にある七つの石の鳥居をくぐり無病息災を祈る「七つ烏居くぐり」も行われるなど季節の行事が多い。
品川の歴史とともに歩んできた「品川寺」
かつての「品川宿」の南端付近、現在の京浜急行本線「青物横丁」駅近くの「品川寺」は平安時代初期に開かれたという品川で最も古い寺だ。境内に建つ地蔵菩薩坐像は1708(宝永5)年に造られたもので、江戸六地蔵の第一番とされている。また、山門脇にあるイチョウは推定樹齢600年で「品川寺のイチョウ」として品川区指定天然記念物になっている。
品川エリアの旧東海道沿いを歩けば、歴史の面影をそこかしこに感じられるだろう。
品川エリアの旧東海道を歴史を訪ねて歩く
所在地:東京都品川区