広島市の中心地としてにぎわう紙屋町・八丁堀エリア
安土桃山時代、山間の「吉田郡山城」を拠点にしていた毛利氏は、太田川の河口に城を移し、大規模な城下町の開発を決めた。新しい城は「広島城」と名付けられ、城下には新しい街も誕生した。第二次世界大戦中の原子爆弾投下により「広島城」は失われたものの、その後、復元され、現在も広島のシンボルとなっている。
「広島城」の南に位置する八丁堀交差点から紙屋町交差点にかけてのエリアは、城下町として発展した歴史を持ち、現在も商店街や大規模ショッピング施設、オフィスなどが集まる中国地方有数の繁華街だ。
とくに紙屋町には周辺エリアへの路線バスのほか、山陰地方や四国各県などへの高速バス、「広島空港」への直通バスが発着する「広島バスセンター」があるほか、広島電鉄の路面電車の多くが集まり、アストラムラインの駅も隣接するなど、「広島」駅と並ぶ交通拠点としてにぎわう。
中国地方最大規模の「広島本通商店街」
紙屋町・八丁堀エリアはショッピングタウンとしても発展した。中央通りの西から鯉城通りの間には約577mのアーケード商店街「広島本通商店街」が続く。ここはかつての西国街道の一部で、今も「広島本通商店街」の路面には西国街道であることを示す石板があり、往時をしのべる。
現在も「広島本通商店街」には、ファッションや雑貨、グルメなど多彩な店が並び、行き交う人は1日10万人に上るという。
大規模ショッピング施設も集まる
紙屋町・八丁堀エリアには大規模ショッピング施設も集まる。紙屋町の「広島バスセンター」には「そごう広島店」があり、隣接する「NTTクレド基町ビル」は「基町クレド」となっている。さらに紙屋町交差点の地下には、アストラムライン「本通」駅と「県庁前」駅の間には地下街「紙屋町シャレオ」も広がる。
八丁堀にも「福屋八丁堀本店」や「広島三越」といった百貨店が複数あり、「広島本通商店街」の東端にはファッション専門店などが入る「広島パルコ」も立つ。
世界平和を祈る街
紙屋町・八丁堀エリアは第二次世界大戦中の原爆投下により大きな被害を受けた。「島内科医院」には「爆心地説明の碑」が設けられているほか、元安川のほとりには「原爆ドーム」が、元安川と本川の間には「平和記念公園」があり、平和の大切さを伝えている。
古くから広島の中心地として栄えてきた紙屋町・八丁堀エリア。長い歴史を経た現在も、広島の交通アクセス、ショッピングの拠点として、多くの人々に親しまれている。
古くから広島市の中心として発展した紙屋町・八丁堀エリア
所在地:広島県広島市中区